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【COJB的育成教育論】を更新しました

【子供の航海の旅を親がわざわざ遮るのはもったいない】

 

険しい人生の荒波を子供自らが苦難から乗り越え逞しく生きる。

 

そんな子供になって欲しい。親ならそう思う人は少なくないだろう。

 

ならば「私は親として子供の成長を遮っているのか否か?」

 

子供には学校というものがあるけれど、親には親になる前の学校はない。

 

親になる資格を得た者だけが親になれるというものはない。

また、親は資格云々で子供を教育するものでもないとも思う。

 

だから実戦で勉強していくしか方法はない。だから親は皆、「これで良いのだろうか?」と

葛藤しながら、子供と一緒に日々勉強しているものだと思う。

 

親になった人なら誰でもそう思って日々教育に悪戦苦闘していると思う。

 

「我々の自分の子供の教育は完璧だ、誰にも何も言わせない」と豪語できる自信家は

中々お目にかかれないでしょう。

 

自分が子供にとって良い親なのか否かは正直判断できないと思う。

 

子供の教育は幅広いと思うけれど、きりがないが、一般的によく聞く

「人様に迷惑をかけないように教育する」

願望は、

「やがては自立して一人歩きしてほしい」

 

どの親も自分の子供がやがて社会の荒波に飲み込まれないよう逞しく生きてほしい

と願っていることだと思う。男なら尚更。

 

では、そのベースをどの時期に養っていくか。

 

やはり思春期の真っただ中にいる中学生だと思う。

 

例えば、

この世の中で一番難しいことは人間関係だと思う。人間の社会で生きている以上、

自分中心で物事が回っていることなどはない。

 

思春期にもなれば特に、いろいろな誘惑、悩みも出て来る。同世代との人間関係も複雑になり、より力関係が著しくなり、それによって劣等感を感じたりもしてしまう年頃だとも思う。

 

親が知らない環境で子供同士の社会で色々なことが起こっていると思う。

その子供同士の社会の問題に一々親が介入するのか否か。

 

そこで、親離れ、子離れというフレーズが出て来る。

 

どちらも必要になるだろう。親離れは子供が自立して行くための一歩。

反抗期、中学生ともなれば、親と行動をしなくなる。

親と一緒にいるところを友達などに見られるのが恥ずかしくなってしまう年頃だ。

このことを親が、一見、感じたり、ついつい優しくなってしまうこともあるだろう。

 

しかし、子が親から離れて行くのはごく普通のこと。

だから、色々な難しいことが出て来る。

 

「反抗期で困る」という言葉を耳にするけれど、これはむしろ良いこと。自立の一歩だ。

反抗期を感じたら親が子にああだのこうだのと言うのをやめて行くべき。

親が色々と干渉しようとすると、却って反抗態勢になる。

 

未熟なりにも自分なりの考えがある。

生意気な態度、行動かもしれないけれど、自立というものはそもそも親の言いなりにはならないことにもつながる。親は我慢の時期に差し掛かる。

親は子供に嫌われるのを恐れる必要はないと思う。

会話がなくなるのを怖がる必要性もない。

特に男なんて、そんなもの。口数少ないし、喋らない方が普通。

 

やがて、大人になって行くにつれて、口には出さないが、親が自分にしてきてくれたことを感謝する時が来るはず。

社会の荒波に揉まれて、色々な経験をすることにより、親の尊さも理解するようになるだろう。それがいつになるか判らないから親も辛抱なのだと思う。

 

結婚でもして、子供でも授かれば尚更。親の気持ちがここで実感する場合もあると思う。

子育ては辛抱、我慢の連続だと思う。親もまだ人として子供を通じて勉強していることになる。

 

だから、中学生時代で親が子供にしてあげるべきことは、弱音を吐いている子に「頑張れ!!」と背中を押してあげることであり、なんでも守る、手を差し伸べることではないと思うのだ。

 

子供が学校やクラブ活動で嫌なことがあったと悩んでいるならば「行きたくなければ行かなくていいよ」ではなく、

実際にどのようなことになっているのか?を親も子供と一緒に学校やクラブを訪れて事実を確認する必要があると思う。

 

子供のことだけを一方的に聞き入れ、学校やクラブ、先生や仲間などを悪者に仕立て上げてしまうこと自体、親がそこで解決してしまってはいないだろうか?

 

「君は悪くない社会が悪い」「君は悪くない仲間が、先生が、指導者が、学校が悪い」

 

親が子に手を差し伸べる時、そのタイミングを知る見極めは必要だと思う。

 

タイミングを間違えてしまうと、子供が自ら立ち直るきっかけを奪ってしまいかねない。

ただ、これは割と難しいのかもしれないが、できることなら、

本人が親にコメントしたように、本当にその環境で行き過ぎたことがあったのか?子供にも非がなかったのか?そのようなことがあるのであれば、話し合いの場によって解決する場合も大いにあると思う。それに向き合わない環境であれば、それはやむを得ないケースもあり、親がサポートするしかないだろう。しかし、そのことさえ行動せずに、勝手な思い込みで

その場を去ってしまった時、やがてまた、同じ場面に遭遇した際に、また環境の責任して

その場を去って行ってしまうのだろうか?

その子はずっと社会の責任、環境の責任にして、自分を振り返ること、改めなくてはならないことに気付かずに社会に出る。

 

やがて、結婚し子供を授かり、今度は自分が親になる。

 

そして、子供を教育している中で、やがて自分と同じようなことが子供にも遭遇した時、また、子供にも同じことをするのではないだろうか?

 

周囲が一緒になって向き合ってあげることは良い。しかし、解決してあげることではない。

 

自ら立ち直る免疫がない親が子供に立ち直らせる術を伝えられるはずかないと私は思う。

自分が術を知らないのであれば相談も必要だろう。

それは決して恥ずかしいことではないと思う。絶対に正しいというものはないはず。

 

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という人がいるが、その通りだと思う。

 

今後、子供が社会の荒波に入り込んだ時に、このような経験は実戦として役に立つはずだ。

 

大人になればなるほど、人間関係はより複雑になる。

中学生ともなれば、その複雑な人間関係の免疫を作れる最高の場でもある。

親が子供を家庭から一歩出した瞬間から、子供は社会への航海の旅に出かけている。

子供が学校で、どのような存在でどのように人と接しているのかもこと細かくは判らない。

嫌われているのか?人気者なのか?普通なのか?仲間はずれになっているのか?人を仲間はずれにしている立場なのか等。

 

苦しい人間関係は中学でも高校でも立ちはだかる。

 

これも社会に出た時のための訓練だと思う。

 

子供の人生経験としてクリヤしていくには、最高のシチュエーションであったかも知れない。

 

一緒になって向き合って考えてあげる環境は必要だと思う。しかし、親が先に出て行って

それを解決してあげることではない。

 

解決するのは親ではなく子供自らしていくものだ。それがたとえ長い航海であったとしても。

 

目先の航海の旅であれば、それはそれでいいのだろう。

 

しかし、この先、本人は勿論のこと、

親にも判らない、子供の険しい荒波人生が待っているかもしれない。

人生の航海の旅を親自らが遮ってしまい止めさせてしまうのはあまりにも勿体ない話だと思う。

何が正しいという訳ではないが、「できれば逞しく生きてほしい」と願うのはどこの親も一緒だと思うから

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